紙面から

【こども記者】昭和の町 大分県豊後高田市の商店街

2016年02月05日 16:58

駄菓子屋でスマートボールを楽しむこども記者たち
駄菓子屋でスマートボールを楽しむこども記者たち
■時が優しく流れている  
 約60年前の昭和30年代のふんいきが残る「昭和の町」を知っていますか。昔ながらの商店街を生かした大分(おおいた)県豊後高田(ぶんごたかだ)市の町おこしの取り組みです。私(わたし)たちはタイムスリップした気分を楽しみ、取材しました。

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 ●お宝ずらり

 昭和の町には、お菓子(かし)の店や呉服店(ごふくてん)、薬局、食堂などが並(なら)んでいた。町に入ると、おだやかな感じがして心がなごんだ。

 私たちを案内してくれたのは、生まれも育ちも豊後高田の日浦勝彦(ひうらかつひこ)さん(63)。市や商工会議所などでつくった豊後高田市観光まちづくり株式(かぶしき)会社の「ご案内人さん」の一人だ。「多くの観光客が来てくれて、活気が戻(もど)った町を見るとうれしいですよ」と声をはずませていた。

 日浦さんの説明によると、この町で「昭和の店」として認(みと)められるには(1)一枚看板(いちまいかんばん)と木調の建具で昔の外観をよみがえらせている(2)その店ならではのお宝(たから)「一店一宝(いってんいっぽう)」を展示(てんじ)している(3)なつかしい物「一店一品」がある-というのが条件(じょうけん)だという。全体で約550メートルの通りに「昭和の店」は約40店ある。

 ●アイドル犬

 お茶の店には終戦後に使われたアルミ製(せい)のランドセル、昆虫(こんちゅう)の店には今ではほとんど見られない昆虫採集(さいしゅう)セット、肉屋さんには古い肉切り機など、いろいろなお宝があった。

 駄菓子屋(だがしや)のおばさんは笑顔(えがお)で私たちを迎(むか)え入れ、「サービスするから、やってごらん」と、スマートボールというゲーム機をやらせてくれた。棒(ぼう)でボールを次々にはじいて、箱の中に並んだ穴(あな)に入れ、縦(たて)や横などにそろえるものだ。わくわくして挑戦(ちょうせん)したけれど、うまくいかなかった。

 町のアイドルにも会うことができた。はきもの店で飼(か)われているシバイヌの「ゆきちゃん」だ。12歳(さい)だから、人間でいうと70歳くらい。私たちが「ゆきちゃん!」と呼(よ)ぶと、振(ふ)り向いて、とてもかわいかった。

 ●ネコバス?!

 アニメ映画(えいが)「となりのトトロ」に出てくるネコバスのような車にも乗せてもらった。ボンネットバス「昭和ロマン号」だ。

 昭和32年につくられ、35年ほど使われずにいて、7年前に復活(ふっかつ)したそうだ。席に座(すわ)ると、少し「ギシ、ギシ」という音がしたが、乗り心地(ごこち)は良かった。商店街を通るときは、道幅(みちはば)がせまいので商店がすぐ目の前の近さだった。店のおばさんやおじさん、観光客が手を振ってくれたので、うれしくなって手を振り返した。

 商店街では、せんべいやコロッケの試食もさせてもらった。農業倉庫を改修(かいしゅう)した「昭和ロマン蔵(ぐら)」には、昭和30年代の民家が再現(さいげん)され、昔のおもちゃや古い映画のポスターなどがたくさん展示されていた。

 時間がゆったりと流れ、人も、バスも、猫(ねこ)も、犬も同じ道を通る町。「もう一度来たい」と思った。

 ●駅伝方式で先人を大事に 観光まちづくり株式会社社長 野田洋二さんに聞く

 昭和の町の取り組みは2001年に7店舗(てんぽ)でスタートし、現在(げんざい)は約40店舗に増(ふ)えた。14年間に訪(おとず)れた客は約350万人。主役の商店街のみなさんを支(ささ)える豊後高田(ぶんごたかだ)市観光まちづくり株式(かぶしき)会社代表取締役(とりしまりやく)の野田洋二(のだようじ)さん(67)に話を聞いた。

 -なぜ「昭和の町」を始めたんですか?

 人口が減(へ)って商店街がなくなるかもしれない、という危機(きき)感がありました。いろいろ検討(けんとう)した結果、先人たちが残してくれたなつかしい町を材料にして都会の人に来てもらい、にぎわいのある町をつくろうということになりました。

 -昭和の町の魅力(みりょく)は?

 道幅(みちはば)が8メートルで、昭和30年代のような商店街が残っているのは、全国でも二つか三つ。これだけの長さ(約550メートル)は豊後高田だけです。当時を知らない若(わか)い人が「なつかしいなあ」と言うから不思議です。日本人のDNAに残っているんじゃないか、と思います。

 -苦労したことは?

 最初は、みんなボランティアだったんですが、多くの人が来てくれるとお金がかかります。パンフレットとか、トイレとか、案内する人の人件費(じんけんひ)とか。駐車場(ちゅうしゃじょう)でお客さんにお金を払(はら)ってもらうなど、昭和の町を続けていくための仕組みづくりが大変でした。

 -大事にしているのは?

 昔なつかしい、心がふれあえる商店街が残るのは、地元のみんなにとっていいことです。だから、自分ができる範囲(はんい)で協力する町づくりなんです。やれることをやったら、次の人にたすきを渡(わた)す駅伝方式。先人の残してくれたものを大事にすれば、次の世代も私たちを大事にしてくれます。こういう教育は、子どものためにも必要だと思います。

 ●わキャッタ!メモ

 ▼豊後高田(ぶんごたかだ)市 大分(おおいた)県の北東部、国東(くにさき)半島の西側にあり、人口は約2万3000人。商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて国東半島一のにぎやかな町として栄えた。

 ▼昭和の町の問い合わせ 豊後高田市観光まちづくり株式(かぶしき)会社=0978(23)1860。ガイドの「ご案内人さん」は要予約。ガイド1人につき2000円から。昭和ロマン蔵(ぐら)の一部施設(しせつ)は有料。

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=2016/01/13付 西日本新聞朝刊=

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