紙面から

【こども記者】豪雨被害 八女の茶畑を再訪

2013年06月15日 16:42

 昨年の夏、九州北部豪雨(ごうう)の被害(ひがい)にあった福岡(ふくおか)県のお茶どころ・八女(やめ)市。約3カ月後、もの知りタイムズのこども特派員(とくはいん)たちは、土砂(どしゃ)が押(お)し寄(よ)せた茶畑の復旧(ふっきゅう)作業を取材し、その手伝いもした。そして、季節は初夏。災害後初めての収穫(しゅうかく)シーズンを迎えた仁田原勇司(にたばるゆうじ)さん(46)の茶畑を、私(わたし)たちは再(ふたた)び訪(おとず)れた。

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 八女市黒木町(くろぎまち)笠原(かさはら)地区にある仁田原さんの茶畑に向かった。と中の道路は土砂(どしゃ)くずれでふさがったままで、遠回りになるうかい路を使わなければならなかった。

 畑に着いた。昨年7月の豪雨で土が流され、大きな穴(あな)ができていたそうだが、その穴はうめられていた。でこぼこの地面もきれいにならされて、まだ葉の少ない小さなお茶の木が並(なら)んでいた。「手で葉をつもうと思ったらできるけど、出荷(しゅっか)するくらいになるまでは4、5年かかります」と仁田原さん。

 これまでたくさんの人が、土を入れたり草取りをしたりするボランティアに来てくれた。ここまで復活(ふっかつ)するのに7カ月かかった。雪の日も作業をしてくれたそうだ。3月半ばごろに、180本ものなえ木を植えた、とのことだった。

 収入(しゅうにゅう)にもえいきょうが出ている。仁田原さんの2・3ヘクタールある畑のうち、今年は0・4ヘクタールが収穫(しゅうかく)できない状態(じょうたい)という。

 お茶農家にとって、1年分の収入は、収穫をするこの時期にかかっている。でも、仁田原さんの畑の中には、うかい路を作るためにけずられてしまった所もあるそうだ。

 「しばらく収穫できない畑もあるけれど、立派(りっぱ)なお茶の木になるまで一生けん命育てていきたい」。仁田原さんの笑顔は明るく見えた。 (飯田記者、前田記者)

 今回取材した4人のうち、僕(ぼく)だけが2度目の取材だった。
 昨年行ったときと比(くら)べると、復旧が一歩一歩前進していることが分かる。でも、いまだに笠原(かさはら)地区へ行く道は仮(かり)復旧だ。まだまだ多大な労力と時間がいるだろう。人手も金銭(きんせん)も足りない。かべはいくつもある。

 仁田原さんは今、農業をしながら笠原にあるNPO法人「山村塾(さんそんじゅく)」で、スタッフとして働いている。仁田原さんもボランティアを紹介(しょうかい)してもらったグループだ。自分の茶畑が復旧の真っただ中なのに、なぜ他人の手助けをできるのだろうか。

 スタッフなので仕事としてお金が支給(しきゅう)されることもあるだろうが、「外での仕事が楽しい」「仲間がたくさんいる」と仁田原さんは理由を挙げてくれた。それは仲間と共にお茶づくりの伝統(でんとう)を続けていこうということだと思う。

 復興(ふっこう)はこれからだ。1人じゃ何もできないけれど、みんなでがんばればきっと元通りになると思った。 (新水特派員)

 ●協力を続けることが必要
 私(わたし)は黒木町(くろぎまち)に住んでいる。昨年の豪雨の日、私も近くの役場にひなんした。次の日、笠原(かさはら)地区に住む祖父(そふ)の家に行こうとしたが、土砂くずれで道が寸断(すんだん)されて行けず、電話も通じなかった。何日かしてうかい路ができたが、祖父の家は5日ほど電気も使えなかった。

 祖父も笠原でお茶を作っている。茶つみシーズンの笠原はいつも、辺りにきれいな茶畑が広がっていた。でも今は、あざやかな緑色の茶畑はどこにいったのかと思うほど、土砂によって緑が減(へ)ってしまった。

 今は仮設(かせつ)道路が通り、山道を通って祖父の家へ行く。そのと中には、大きな岩がゴロゴロ転がっていたり土砂くずれがおきていたりと、痛々(いたいた)しい部分がたくさんある。まだまだボランティアの方や自分たちで協力しないと復興できない。仁田原さんの話を聞き「またおいしいお茶を作る茶畑になってほしい」と心から思った。読者のみなさんもお茶をたくさん飲んでほしい。 (古賀記者)

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=2013/05/22付 西日本新聞朝刊=

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