紙面から

【歴史マンガ・九州偉人伝】大友宗麟

2013年06月15日 16:40

 ●こんなひと
 ▼大友宗麟(おおともそうりん)(1530~1587)
 戦国時代から安土桃山(あづちももやま)時代を生きた武将(ぶしょう)で、戦国大名。豊後府内(ぶんごふない)(今の大分(おおいた)市)で生まれる。本名は義鎮(よししげ)。大友家の相続争い「二階崩(にかいくず)れの変(へん)」を経(へ)て第21代当主に。海外貿易(ぼうえき)による経済力(けいざいりょく)と家臣に恵(めぐ)まれ、領地(りょうち)を広げた。最盛期(さいせいき)には幕府(ばくふ)に代わって北部九州6国(今の福岡(ふくおか)、佐賀(さが)、長崎(ながさき)、大分(おおいた)県)を治める守護(しゅご)を務(つと)めた。

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 キリシタン大名としても有名で、フランシスコ・ザビエルを府内に招(まね)き、キリスト教を保護(ほご)、奨励(しょうれい)。大村純忠(おおむらすみただ)、有馬晴信(ありまはるのぶ)とともに天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)をローマに派遣(はけん)した。

 キリシタン王国の建設(けんせつ)を夢(ゆめ)みたが、薩摩(さつま)(今の鹿児島(かごしま))の島津(しまづ)軍に敗れ、次々と家臣が離(はな)れていき衰退(すいたい)。最後は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家臣の一大名となり、津久見(つくみ)で病死した。

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=2013/04/02付 西日本新聞朝刊=

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