紙面から

【記者だより】よかトピア25年 アジアの福岡行く先は

2014年05月07日 18:35

 「ラ ラ 手をつないで ラ ラ まつりだまつり」の歌声とメロディーが今も頭に残っている。1989年、福岡(ふくおか)市が「市」になって100周年を記念して今のシーサイドももち(早良(さわら)区)で開いた「アジア太平洋博覧会(はくらんかい)(通称(つうしょう)・よかトピア)」のテレビコマーシャルで歌われていた。

 私(わたし)は歳(さい)だった。友だちと一緒(いっしょ)にわくわくしながら入場ゲートをくぐり、完成したばかりの福岡タワーの高さに驚(おどろ)き、初めて見る各国の料理や踊(おど)りに目を奪(うば)われた。の国や地域(ちいき)が参加して、43のパビリオン(展示館(てんじかん))が建った。訪(おとず)れた人は171日間で823万人。迷子(まいご)だけで合計5921人も出る、とても大きな祭りだった。

 今、会場の跡(あと)には、オフィスビルやマンションが立ち並(なら)び、博覧会の様子をうかがい知ることができるものは少ない。知り合いにも「そんな祭りがあったの?」という人が何人もいた。福岡の形をつくる大きなきっかけだった博覧会を、知らない人に伝えようと思い、もう一度取材した。

 昔のことを振(ふ)り返ることは、自分たちが今どこにいるのか、どこに行こうとしているのか、ということを考えるきっかけになる。

 1980年代、博覧会は日本のあちこちで開かれていた。特に89年は福岡だけでなく横浜(よこはま)、名古屋(なごや)、広島(ひろしま)など以上の都市で行われた。そのころは「バブル景気」で景気が良かったことも大きかった。福岡では1500億円を使った埋(う)め立て地で、180億円をかけて博覧会が開かれた。無駄遣(むだづか)いだ、という批判もあった。

 この博覧会をきっかけに、福岡市は、アジアの中心になることを強く目指してきた。福岡空港を飛び立つ国際線(こくさいせん)の飛行機は週に430便以上、福岡から日本に入国する外国人は年間で5倍以上に増(ふ)えた。福岡市営(しえい)地下鉄にあるタッチパネル式の券売機(けんばいき)は、全国の地下鉄で初めて日本語、英語、韓国(かんこく)語、中国語の計4カ国語に対応した。

 そして博覧会から年たった2014年。福岡市は今、多くの国際(こくさい)会議や団体(だんたい)旅行を呼(よ)び込(こ)むためのチームをつくったり、「国家戦略特区(こっかせんりゃくとっく)」という国の制度(せいど)を使って外国の人や会社が福岡に来やすくしたりすることで、もっとアジアや世界に開かれた街を目指そうと取り組みを始めている。

 25年後、2039年の福岡市はどうなっているだろうか。地下鉄の駅にタイ語やモンゴル語の案内が加わっているかもしれない。屋台に入ると、お客さんが全員外国人でも当たり前のことだろう。もっと想像(そうぞう)もつかないことが起こっているかもしれない。
 私たちの街や暮(く)らしがどこに向かうのか、これからもみんなで考えていければいいと思う。


=2014/04/20付 西日本新聞朝刊=

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