紙面から

【インタビュー】「くまモンの生みの親」放送作家・脚本家 小山薫堂さん

2013年12月17日 11:43

完全じゃないから愛されるのかな

 ゆるキャラ「くまモン」の生みの親で、映画(えいが)「おくりびと」では脚本(きゃくほん)(もとになる本)を書いた小山薫堂(こやまくんどう)さん(熊本(くまもと)県出身)。人を喜ばせることが大好きで、どこかくまモンにも似(に)ている小山さんの素顔(すがお)に迫(せま)りました。

 -九州新幹線(しんかんせん)全線開通に向けた熊本県の事業で、アドバイザーを務(つと)めました。くまモンはそこで誕生(たんじょう)したそうですね。

【インタビュー】「くまモンの生みの親」放送作家・脚本家 小山薫堂さん 紙面はこちら

 小山 もともとキャラクターを作る予定はありませんでした。ロゴ作りをお願いした(デザイン会社の)グッドデザインカンパニーが、おまけでくまモンを作ってくれたんです。

 -小山さんのアイデアをもとに、くまモン自ら名刺(めいし)を配ったり、関西でいろいろなイベントに出たりして知名度アップを図ったとか。

 小山 こんなに人気が出るとは思いませんでした。最近は不完全なものが愛される時代なんじゃないかと思う。昔は、計算されて、すきのないものがヒットしていたけれど、今は欠点があって人々がそこをうめたくなるようなキャラに人気が集まるんじゃないかと。

 -誕生から3年半。ゆるキャラグランプリでは日本一を獲得(かくとく)し、海外進出も果たしました。

 小山 イチロー選手とか松井(まつい)(秀喜(ひでき))さんのように、郷土(きょうど)の高校野球で活躍(かつやく)してた男の子がいつの間にかプロになって、大リーグまで行ったみたいな感じですね。

 -テレビの放送作家、青空市場「マルシェ」の開催(かいさい)、ホテルのプロデュースに、人気グループ「嵐(あらし)」の曲の作詞(さくし)もしているそうですね。

 小山 (何かを作り出すという)企画(きかく)の原点は、小学生のころ、自分の誕生会(たんじょうかい)を考えることでした。「バヤリースオレンジでかんぱい、とんかつやさんの出前のカツカレーを食べ、次はプレゼントタイム」と、進行表を作ってました。誕生日が同じ友人がいたので、たくさんプレゼントをもらいたいというしたたかな思いで、友だちに「うちに来るよね」と声をかけてましたね。

 -当時から企画の仕事をしたかったのですか。

 小山 なりたかったのはバキュームカーの運転手。ベビーシッターのおばあちゃんの家のトイレがくみとり式で、車が来ると、バケツを持ってお手伝いに走って行きました。汚物(おぶつ)をすうホースがものすごくかっこよく見えて、いやな仕事だなんて全く思わなかった。

 中学生のときは歌手の松山千春(まつやまちはる)さんにあこがれた。でも、父親に「ああいうものは何百万人に一人の才能(さいのう)なんだ。現実(げんじつ)を見つめろ」と夢をくだくようなことを言われてショックを受けました。

 -どんなことを考えて仕事をしているのですか。

 小山 いかに楽しく日々を過(す)ごすか、幸せを感じながら生きるか。周りの人にもそれを感じてもらえたらと思っています。

 -小山さんのように何でも楽しめる大人になるにはどうしたらいいのですか。

 小山 友だちやお父さん、お母さん、先生など、近くにいる人にプレゼントをあげてください。その人のためにプレゼントを考えて、作る努力をして、できあがったものをわたすと、その人が喜んでくれることに自分も幸せを感じる。こうすればこの人は喜ぶとか、不快(ふかい)に思うとか知ることは、日本人が最も得意とする才能だと思う。それが心を思いはかるということ。そこからおもてなしは生まれると思います。

 こやま・くんどう 1964年、熊本(くまもと)県天草(あまくさ)市生まれ。日本大在学中にテレビ番組「11PM(イレブンピーエム)」の放送作家としてデビュー、「料理の鉄人」「カノッサの屈辱(くつじょく)」などを手がけた。脚本(きゃくほん)を担当(たんとう)した映画(えいが)「おくりびと」は米アカデミー賞外国語映画賞を受賞。企業(きぎょう)や自治体(じちたい)に企画提案(きかくていあん)する株式(かぶしき)会社オレンジ・アンド・パートナーズ、放送作家事務所(じむしょ)「N35」の代表を務(つと)める。ほかにラジオパーソナリティーや東北芸術(げいじゅつ)工科大教授(きょうじゅ)などもこなす。

【インタビュー】「くまモンの生みの親」放送作家・脚本家 小山薫堂さん 紙面はこちら

=2013/11/18付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]